石中先生行状記 (成瀬巳喜男, 1950年)

今日は僕の書いている本から一番目の断片を翻訳しますけど、その前に僕はまだ日本語を勉強していますから下手だと言いたかったんです。自分で勉強しているのでちょっと難しいですが、頑張りますね。では、始めましょう!

 

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石中先生行状記

監督:成瀬巳喜男
脚本:八木隆一郎 (原作・石坂洋次郎)
映画会社:東宝
製作年:1950年

 ストーリー:

「石中先生行状記」は三つの短編で作っています。石中先生と石中先生の友達は一番目と二番目の短編に狂言回しで三番目のに挿話的なキャラクターです。石中先生は尊敬している作家だから、色々な人々は先生にアドバイスを聞きに来ています。一番目の短編で若い軍人は先生と先生の友達に戦争の最後の日に埋められた三百六十のガソリンと樽について伝えます。皆は樽を探そうと決定して、それから小さい村へ行きます。しかし、着いた後で宝を探さずに若い軍人はずっと若くてかわいい女の人と話しています。

二番目の短編は二人の老の男の人の口論から始まります。その二人は「道ならぬ」ヌードショーを見てから、誰のアイディアだったと喧嘩している。もちろん、二人はショーが好きだったけど、後で恥ずかしくなるんです。すぐに二人の子供がその喧嘩を続きますから、二つの家族は突然に敵になります。

三番目の短編は間違えて、他人のカートで眠った少女についてです。起きてから、優しい家族の田舎家にいると気付きます。すぐに家庭のハンサムで若い男の人と親しみます。

 

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映画に関する考え:

戦争の後で作った映画として「石中先生行状記」は社会の傷を治したかったの映画だと思っています。僕の感じは成瀬さんは戦争の前と戦争の時に無くした(戦闘的なプロパガンダなどのせいで)人間の値打ちや優しさなどを日本の国に戻してみたいです。だから「石中先生行状記」は楽天的なロマンチックコメディーですね。ちょっと大衆的あるでしょうけど、成瀬さんは沢山事に関して話しますね。例えばジェネレーションギャップとか日本の現代化とかについてです。戦争の後で日本はまた民主主義を気付けました、それに「新しい」哲理も気付けたと思いますね。個人主義とか人道主義とか実存主義とか日本に現れて、セクシュアリティにも国はちょっと開きました。もちろん、「石中先生行状記」は太陽の季節映画ではないけど、この映画も少しセクシュアリティに開いているのは見えると思います。

成瀬さんがそのジェネレーションガップとセクシュアリティの案件について話したら、ちょっと皮肉です。その皮肉のお蔭でもっといいコメディーを作れました。「石中先生行状記」で若者の方が老より両親にもかかわらず伝統的で保守的になります。両親は伝統的な仮面を被っているけど、若者よりもヌードショーなど新しい経験を聞きたがってます。特に男の人ですけど、男の人は家長制度に新しい物と文化にもっと易しいアクセスがありますなんだからね。

成瀬さんは繊細に人々から道義の仮面を取っています。社会に関して論評は優しいコメディーのレイヤーの下で隠されています。しかし、偽善や二面性などに関して論評が見えやすいだと思います。

けれど嘘を付く事は時々悪い事ではありません。一番目の短編の若い軍人は女の人と会う為に石中先生と先生の友達に嘘を付くのに、誰も怒りになりません。ロマンや愛や血気盛りなど当たり前の事があって、戦争の後で望んだ事でしたね。僕は成瀬さんは「愛して!新しくて優しくていい日本を作ってよ!」と言うのは見えると思ってます。この映画で近代主義の罠を見せないけど、成瀬さんは必ずその罠があると知っていましたが、それは成瀬さんの他の映画の為に残った問題です。

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 映画について日本語で書くのは本当に難しいですよ!疲れた…(笑)やっぱりもっと勉強しないと。実は「石中先生行状記」はいい映画だと思いますけど、ロマンチックコメディーが余り好きではないから他の成瀬さんの映画もっと好きです。それに、きっと「石中先生行状記」は成瀬さんのベストではないなあ。でも他の成瀬さんの映画について将来に書くはずです。皆さん読むことをありがとうございました!